目標に、断捨離を掲げて、ミニマリストのインスタグラムをいくつもフォローして、いったいどれくらいたつだろう。気持ちのどこかでは、すっきりしたいと思っている。
でも、明らかにゴミといえるものを捨てるだけで断捨離した!と、思っていたけれど、ついにこの冬大きな壁を越えたよ。
量はたいしたことなくて、まだまだ捨てるべきものは多いのだけどね。いくつかの未練の塊を手放すことができたのは、大きな変化だった。
まず初めに、捨てることができたのが、旅行の本や雑誌。
実際、旅行に行くときは、本を出してきて調べるなんてしたことがなかった。旅の本を持っていると、いつか旅行に行けるような気がしてたのかな。パラパラめくった雑誌の広告には、浜崎あゆみがデジカメを持っていた。デジカメか。。。時代は流れているんだな。即捨てることができず、一通り目を通す。その中で気になって調べたお店は、もうつぶれていた。
本を置いておくより、行動したらいいのよね。本を見て、行動につながるきっかけ。置いているだけじゃ意味がなかった。
次に、趣味の道具。絵を描く道具を手放した。水彩画、油絵、ガッシュ画。大人になってからカルチャーセンターに習いに行っていたときに揃えた道具たち。
でも習いに行っても、満足な絵は描けなかった。もう子どもの頃のような集中力はなかなか出てこないからだろうか、感性が泥に塗れてるからかな。小学5年生の私を越えられないように思う。
いろんなものを捨てようと思えたのは、ついに自分の老いを認められたからかもしれない。まだ無理をすればなんでもできるような気がしていたけれど、もうそんな年ではないのだと、病気をしてやっと理解した。等身大の自分を嘆くでもなく逆らうでもなく受け止めたことで、やっと20代30代40代の私がやりたかったことへの未練を過去にすることにできたようだ。
今の私は、自分が思っているより、老いていること。でも、全部が過去の上に成り立っていること。いろんなことが中途半端で成し遂げられなかった未練たちだと思っていたけれど、なんでもいっちょ噛んどいてよかったよ。
結局はこれも自己肯定感が高くなったということかしら。
物がなくたって、私の値打ちが下がるわけでなく、むしろこんなガラクタと暮らしている私を見られる方が問題だわね。物を捨てたら、溜まった脂肪も、滞った毒素も、流れていくかしら?
うん。もう少し捨てよう。風通しの良い家にして、体も軽くなるといいな。
<補足>この文章は2月中に書いていました。実際に、過去を捨てたら、今が動き出した気がするわ。面白いね。