幸せ講座を受けてみたら

友達が紹介してくれた「幸せ」の講座

仲の良い2人も絶賛する方のセミナーだったので、参加してみた。

セミナーの内容は、寸分たがわず理解でき、まったく同じ考え方だったので違和感なく。

ただ何となく。。。

なんとなく気に入らない。

この・・・普通の話を、セミナー代を支払って聞くのか。

いや、そもそも

これを勧めてくれる友人が、このスピーカーの人に心酔していることに、ある種のショックを受けている。

この内容なら、私が教えてあげるのに。。。

私も同じことを常々考えていて、ほぼ同じことをブログに書いていて、みんなに訴えていたつもりだったのに。

同じように自分の手の届くところの人を幸せにしたいと思っていて、それが世界平和なんだと思っていて。。。

でも、私は、なにもできていなかったんだなぁ。落胆。

あぁ、これは、嫉妬なんだな。

この人と、私と、何が違うんだろう。。。

私が何者でもないからか?

肩書がないからか?

そういう立場で語らないからか?

私は自分の頭で考えて実行していないからか?

でも強烈に、この人と同じように、私の言葉で誰かを行動させたかったのだ。と、意識させられました。

正直コーチングって、一番胡散臭いと思っていました。

私が自力で気づいたことを、ありがたそうに説明されて、それにお金を支払うこと。

とてもいい話でも、それはそうでしょうよ、と斜に構えて素直に心に受け止められないめんどくさい受講生になるなぁと。

意固地な自分がいます。

でも、結局は自分が一番やりたいことだからこそ、うまくいかないかもしれないと目を背けていたのだろうな、と思えてきました。

この5年ほど、人間関係で悩むことがありませんでした。私に関わる人はみんないい人で、なんて幸せなんだろうなと思って順調に生きてきました。摩擦が何もないわけではないけれど、うまく回避できるようになってきたのは年の功かな。と、思っていたし、そもそもトラブルが、近づいてこないようにポジションを整えてきたから、まぁ当然と言えば当然。

ど派手な挫折を経験して、今ではうまくやれるようになったと思う。

子育ての、あーじゃない、こーじゃない、そーじゃない。はいくつもあるんだけどね。思い込みで回りが見えないようになることへの警鐘として、あーでもないこーでもない、と言いたくて言っているのだと思う。

ただちょっと、この1,2か月は少し違った。

違ったのは、私の受け取り方だったのかもしれない。過去に同じことが起こっていても、受け取り方が変わり、心に残る形がちがったのかも。

あまりトラブルが寄ってこないのに、数か月前に飛び火があった。おっ、私への挑戦か?生活の乱れか?と気になりつつも、冷静に対処したけれど、どことなく流れが変わったと感じた。

また同じころ、質問や相談が増え、私に意見を求めるんだ。へぇ、と思った。まぁ年も年なので、他人に意見を求められる経験を積んではいるけれど、他人か意見を求められることがなかったので少し意外に感じる出来事だった。

若かりし頃、おせっかいに良かれと思って意見して、自己主張を振りかざした結果、人を傷つけてしまった反省から長らく沈黙を守ってきていたけれど、そろそろ動き出していいよ。ということか。などと、感じるところもあり、自分の中では腑に落ちている。

そんな折に、セミナーを紹介されて、また調子のいい私は、これは運命!とか舞い上がっている。

そうだな。そろそろ、出来ない理由ではなく、できる理由を探すことにしよう。いやいや、探してる暇があれば、 動けよって話ね。うん。そうする。

セミナーを紹介してくれて、ありがとう!

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